CBI NEWS  復刊第9号 (抜粋) 2003年11月21日発行)


 

診断と治療の連係とビジネス


今回、「臨床診断薬の現状と将来」と題する研究講演会が開催されることになった。診断薬の重要性は米国のVenture Capitalによっても注目されている。その一人はなんとFDAの元長官(Frank Young)である(日経バイオビジネス、2003.11,pp.130-133)。これを医療サービスから見れば、診断と治療の適切な連係ということになろう。医療の顧客Clientにしてみれば、診断と治療が連係すべきは当たり前だと考える。しかし最近その連係が強調される要因がいくつか眼につくようになった。以下にいくつかの話題を提供したい。  

その第1は、Personalized Medicineである。そのためには患者にどのような診断を行い、どのような治療を行うかが統合された形で実施される必要がある。これも当たり前の話ではあるが、診断と治療とはそれぞれ一回きりの行為ではなく、それぞれが連鎖しながら深まっていく繰り返し行為である。また患者の状態を判定するための参考情報は医療機関の異なる場所で発生する。それらを効率よく収集し、統合するには俗に「電子カルテ」と呼ばれる基盤となる診療支援情報システムが完備していなければならない。  

新しく注目されているのは、ある薬を処方するために必要な診断薬、診断方法である。すぐ思いつくのは同一の疾患でも薬への応答の違いや予後が異なるさまざまなサブタイプがあり、それを鑑別することである。例えば、Microarrayが血液性のがんの鑑別診断に有用という発表がなされた。チトクロームP-450(CYP)に代表される薬物代謝酵素の個人差は薬物の選択や投与量の決定に違いをもたらす。現在遺伝子発現を比較する方法が主流であるが、Protein Chip, 質量分析、NMRなどを駆使したタンパク質(Proteomics)や2次代謝物(Metabolomics)による判定の実用化も進むと考えられる。こうした大量データを産生する測定手段では、データ処理すなわち解析と解釈の問題も重要になってくる。これについては昨年のCBI学会大会でJulian L. Griffinが、NMRによるMetabolomicsとその臨床応用の可能性についての講演でも具体的に言及されている。  

次に問題となるのが、患者に関するさまざまな情報を参考にして適切な治療薬を選択するという臨床医の判断行為である。こうした知的な「推測」や「推論」をコンピュータに支援させようというのが、Medical Expert System(医学専門家システム)、その実現技法がMedical Knowledge Engineering(医学知識工学)である。そうした研究は1970年代の初めから始まったが、有名になったのは感染症の抗菌薬の選択を支援する、E.H. ShortliffeのMYCINである。(神沼、倉科訳、診療コンピュータシステム、文光堂、1981)余談だが、医学用の推論システムの開発が1980年代の我が国の第5世代コンピュータ計画の有望な応用目標となった。ただし、MYCINも第5世代コンピュータも実用化には到らなかった。  

こうした変化が進むとして次に問題となるのは、さまざまな診断結果と治療薬の選択の是非を科学的に検証する仕事である。さらにそうした医療行為の効果を科学的に判定することである。そのためには診療の記録をコンピュータで管理し、臨床研究で使えるようにしなければならない。この問題は電子カルテを導入すればうまくいくというほど単純な問題ではない。これに関しては、先にCBI学会の研究講演会で永井良三教授が新しい試みを紹介していたが、新しい専門家と経験知識の蓄積が必要である。少し前から、医療においてはEvidence Basedという言葉が尊重されるようになっている。永井教授によれば診療情報を統計的に解析する医学統計の専門家が必要と言う声が日本学術会議あたりでも挙がってきたと言われていた。さらに今年のCBI学会で講演された門脇孝 教授は、糖尿病に関して新しい体系で診療情報を記録、保存、活用し、最良の医療をめざす構想を発表されている。ただ、こうした最先端の試みと一般的な医療機関でのサービスにはまだ大きな隔たりがある。  

診療記録のコンピュータ管理とそれを基盤とした医学知識の抽出という課題は、医療情報学Medical Informaticsにおける聖杯Holy Grailである。だが、それはコストがかかるわりに成果が上がりにくい難しい課題である。最近とくに-omics技術の普及に伴って主成分分析(PCA)、クラスタリング、最近隣法Nearest neighbor method、データマイニングData miningなど、統計学、データ解析、パターン認識の用語がBioinformaticsの中で聞かれるようになった。これは、Bioinformaticsがgenomic computingの枠を越えてInformaticsの一般的な方法論も必要な問題を取り上げるようになった兆候と見ることができる。それにともなって実験家や臨床家とそうした技法の専門家との共同研究も増えてきているようである。だが、それによって生物医学、医療関連機関におけるそうした専門家の雇用機会が増えてきているのかどうか、私にはよく分からない。

生物医学に統計学(推計学)が必要であると唱え、実践したのが増山元三郎、高橋晄正の両氏である。今日の医療情報学の源流の一つである。その考えに共鳴した私は、1970-80年のおよそ10年間、この分野の研究を実践に打ち込んだ。そうして得た結論は、「医学は統計学者を必要としない方向に常に進歩している」という事実である。(神沼二眞、医療革新とコンピュータ、岩波、1985)。統計学とその関連技法は使われるとしても診断技術の中に組み込まれ、使い手が意識しない形になる(もちろん研究において統計関連技法は使われるが)。こうした専門家が広く活躍するための体制を整えるには、よい医療が評価されるという医療サービスの体制がまずできなければならない。そのためには、医療サービスの受けての意識が変わらねばならない。その道は遠いように思える。  

この問題を投資家の立場から見れば、有望なのはずばり「統計学者の判断」を必要としないほど明快に診断と治療処方を結び付けられる診断技術の開発である。実際にVenture投資家が注目しているのもこのあたりらしい。  

診断治療の概念を拡大すると、個人の身体の特徴に応じた食事やサプリメント、各種の健康法などの問題にゆきつく。中でも体質と食事は、Neutraceuticalの立場に立ったビジネスが考えられる。医療費高騰の抑制という視点から言えば、健康医療政策上も重要な課題である。こうした分野へのゲノム技術の応用はNutrigenomicsと呼ばれている。ゲノム技術を基盤とした健康に関連したMarker探しの研究も始まっている。ただそう簡単にうまくはいかないだろう。このあたり科学と規制(例えば特保制度)もまだ揺籃期にある。まずは地道な研究から始める必要があろう。最後にこの問題には哲学的なというか、原理的というか、診断と治療を結び付けるには根源的に大きな問題が付き纏う。診断は科学の問題であるが、治療は価値観の問題になる。どのような治療法を選択するかは、それを受ける者のLifestyleや生活哲学、生命倫理観に左右される。それこそPersonalな問題である。そういう違いが問題になることもありうるだろう。  

日経バイオビジネスによれば、診断薬、診断技術、診断と治療を連係するビジネスを展開している企業は、Genomic Health, XDx, ParAllel BioScience, Perlegen Science, Panacea Pharmaceuticalsなどである。そう言えば、昨年の大会で講演したDavid CoxはStanfordからPerlegen Scienceに移っている。


 

本の紹介

 

「フリーラジカルとがん予防、がん予防食品の開発」
吉川敏一,一石英一郎,シーエムシー出版,65-74, 1999

「ヒト遺伝子と機能性成分の感受性に関する最近の話題、食品機能素材2」
一石英一郎,吉川敏一,シーエムシー出版,74-87, 2001

「DNAチップ技術を用いた予防医学・オーダーメイド疾病予防の可能性、DNAチップ応用技術2」
一石英一郎,吉川敏一,シーエムシー出版、27-36, 2001

「ゲノミクスと分子病態学、図説分子病態学」
一石英一郎,吉川敏一,中外医学社出版,6-10, 2003

「次世代ゲノム創薬」
日本薬学会編 編集代表 杉山雄一,中山書店,2003,5600円

「ファーマコキネティクス 演習による理解」
杉山雄一,山下伸二,加藤基浩,南山堂,2003,6000円